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腰痛を悪化させないために当院で根本からの腰痛治療

慢性的な腰痛を抱えていても、シップを貼ったり、たまにマッサージを受けたりするだけで特別な腰痛治療を受けられていないという方も多いかと思います。しかし、たかが腰痛と考えていると後で重大な症状を引き起こすこともあるのです。ヘルニアや坐骨神経痛、ぎっくり腰などつらい痛みを起こしてしまう前に当院にて腰痛をしっかりと改善させておきましょう。

多くの方が抱える国民病の一つです

日本人の大半が腰痛を抱えていると言ってもいいほどの状況であり、子供の頃からパソコンやゲームを頻繁におこなっていることで悪い姿勢がクセづいてしまい早いうちから腰痛が出てくるというケースも増えてきているのです。当院の腰痛治療はお子さまからご年配の方まで年齢を問わず受けていただくことが出来ます。

姿勢の悪さから起こります

長時間同じ姿勢を続けていたり、猫背になってしまっていることで骨格にゆがみが生じてしまい腰痛が起こることも多々御座います。しんせつな鍼灸マッサージ整骨院の腰痛治療は背骨や骨盤を矯正していき、身体のバランスを整えることで原因を取り除いていきます。当院にて腰痛の根本治療をしておくことで今後つらい痛みを出さないような身体になるのです。

伊藤光夫さん(写真中央)。東区で当院開院以来現在まで約4年間、主に腰痛など身体に困ったことがあるといつも当院を頼って下さっている患者様の1人です。しかし、“一般的な、健康に気を遣われている方”とはひと味もふた味も違います。

というのも、ご本人いわく「イギリスの税関を通るときには顔を見ただけで“sir(先生)”って声をかけられる」とのこと。二輪車業界でこの方の名前を知らないという人はいないのではないでしょうか。
まずは、そんな伊藤さんの歴史について少し紹介させていただきます。

伊藤さんは磐田市で自動車屋さんのご子息として誕生しました。当時は自動車屋と言っても、物資の運搬やお医者の往診のためのタクシー運転が主なお仕事。第二次世界大戦ですべて丸焼けになっても、戦後何とか持ち直してきました。こうして、動くものに触れて育ったため、昔から自動車などに興味があったそう。

そもそも二輪車というのは、本田宗一郎さん(本田技研工業創立者)が自転車にエンジンを付けたのが始まり。そのため、浜松が二輪車発祥の地と呼ばれている所以なのは皆さんもご存じかもしれませんね。ご自身が動くものに興味があったことに加えて、本田宗一郎さんが自動車屋さんをやっているときに伊藤さんのお父様がそこに修理に出しており顔見知りだったため、学校を卒業後は本田技研工業への就職を決めたのだとか。

そこでは主に、当時のホンダのオートバイの特徴である4ストロークエンジンの作成や試乗のお仕事をされましたが、なんと約2年半で退職。本田技研工業は埼玉にも製作所を作っていたため、そちらへの異動が多いのが現実でした。伊藤さんは「俺は自分の生まれた地元にいたい」とスズキへ再就職します。そこでも、開発されたエンジンをテストしたり、実際に試乗したりと二輪車製造の中心でお仕事をされていました。

そんな中、1959年にホンダがスズキより一足先にイギリスのマン島ツーリスト・トロフィーレース(通称:マン島TT)に参戦します。このレースは世界ロードレース選手権の中でも、世界中のライダーや二輪車製造者にとっての非常に重要なレースとして有名でした。その後、当時のホンダとスズキの社長が意気投合したことをきっかけに、翌年1960年にスズキもマン島TTへの出場を果たします。

当時はレーサーという職業がなかったので、実際に完成車の試乗検査が主だった伊藤さんがライダーとして駆り出されました。最終的には1967年まで世界ロードレース選手権に出続けます。

しかし、最初は世界のレベルには通用せず、負けては開発の繰り返し。さらに当時の二輪車のレースと言えば、狭い公道を時速200kmほどで走る抜けるという非常に危険なものでした。「毎年2人は死んでたよ」と伊藤さん。そんな過酷なレースだったので、ご自身も交通事故を起こして何度か大きな負傷をされたり現地でそのまま入院されたこともあったそう。

今も当時の過酷なレースを彷彿とさせる生々しい傷跡が身体に刻まれています。こうして、失敗と開発を繰り返していくうちに日本の二輪車も世界に認められるようになってきました。そして、1963年、伊藤さん26歳のマン島TT。ついに日本人初の優勝を果たします。このレースはあまりの危険さから1976年に世界GPからなくなったため、伊藤さんはマン島TTの歴史上で唯一の日本人優勝者となったのです。

そして、レース引退後はアメリカや南米、タイなど各国に渡り、しばらくはチームを牽引します。他にも日本や各国の警察から白バイの訓練の教官としても招かれました。今の白バイの技術にまで、伊藤さんの二輪車への情熱が引き継がれているんですね。「大阪なんかに行ったら、移動のときはパトカー5台にオートバイ…沢山引き連れてたよ」と当時の輝かしい姿が浮かびます。

こうして二輪車に生涯を捧げてきた伊藤さん。そんな伊藤さんも退職後は第2の人生を歩まれています。「今じゃそうゆう連中を見ると、本当に危なっかしいなあ…なんてね。」と今ではゆっくりと人生を歩まれているご様子。退職に伴い、健康維持のため自発的にジムにも通い、積極的に身体を鍛えられています。ご高齢ということを配慮した体調を維持する方法についても考えていらっしゃるんだとか。

当院でもそれに配慮して、マッサージやストレッチ、干渉派、高周波での施術を組み合わせて、その時の状態に合った施術を心がけています。

そんな伊藤さんに今回当院での治療についてインタビューを行わせていただきました。
(以下インタビューより抜粋)

―――伊藤さんは腰痛にお困りですが、主にどんなときに生活上で困ることが多いですか?

伊藤さん:「今1番困ってるのは腰痛。立ってるかオートバイでかがんでるかだったから昔から腰痛になりやすかったね。そうすると今じゃ、日常生活でもゆっくり動きたいし、特に朝起きた時の洗面のなんかは怖いね。洗面台ってかがまないとできないじゃない。」

―――伊藤さんが当院に通っている理由はなんですか?

伊藤さん:「僕はここのジムができた当初から通ってるから、ここの整骨院ができたときから知ってたよ。当時から腰痛や他の怪我で困っててね、最初はちょっと気になったからここに寄ってみただけ。ここで押さえてもらったり伸ばしてもらったりすると随分と腰痛が楽になるから、繰り返し通ってる。短期で治すんじゃなくって、痛くなったそのたびに腰痛治療は根気よく通わんとだね。」

―――当院の治療で気に入っているものはありますか?

伊藤さん:「腰痛の治療内容で気に入ってるのはストレッチだね。ストレッチは腰痛治療においてすごく大事だと思う。人の手を借りないと、自分では上手にできんからね。僕は今まで整骨院とか整体は行ったことなかったんだけど、こういうマッサージとかストレッチの必要性ってのは、ここに通うことで実感できたよ。」

―――当院のいいところはありますか?

伊藤さん:「ここは腰痛治療とか医者に行ったような感覚じゃなくて、なんかこう…ファミリー的な雰囲気なのがいいね。今はどこいったって看護師さんにはふざけたような冗談言えんもの(笑)それとね、不思議とここの助手の女の子はどの子もおんなじような顔に見えるけどね(笑)」

―――最後にほかに腰痛でお困りの患者様に伝えたいことはありますか?

伊藤さん:「他に腰痛に困っている患者さんに伝えたいことは、腰痛は無理せず休んで、まずはこういうところで診てもらうこと。僕もいろんなけがをしてきて、この足の傷とか、口も切ってなんだかわからんくらい腫れたし、腕時計が手首に食い込んだこともあったし。1回頸椎がずれて固定と牽引してた頃もあったんだけど、勝手にギプス取ったら痛くてねえ…。やっぱり先生を信頼してちゃんと治すことが大事だと思うね。そんで自分でも治す努力する。まあそれでも職業的にはけがは少ないほうなんだよ。」